徒歩による会社からの家路 (3.11東北地方太平洋沖地震)

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2011年 東北地方太平洋沖地震
The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake

まさか、ここまで甚大な被害となるとは思いもしませんでした。
マグニチュード9.0だってよ、そりゃ大津波になっても不思議ない。

地震発生時は、8クラスだと思いましたけどね。
実際には、その30倍以上のエネルギーだったのです。

Wikipediaの記事で、マグニチュードの修正(M8.8→9.0)と、
気仙沼市(日本語&英語版)の加筆訂正(M9.0)をしたのは、この私です。

地震に割と敏感(※睡眠時を除く) なので、余震が気になって仕方ない。
1日に何度も緊急地震速報を聞くのは、初めての経験です。

タイトル通り、震災当日は、会社からほとんどの道のりを歩いて帰宅しました。
通ったルートの画像を、下に貼付けています。

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会議中、ホワイトボードに議事録的なメモを書き込んでいる際に
「部屋が揺れていて、まっすぐ書けないじゃないですかww」
とかボケかましているのも束の間、すぐに強い揺れとなり、5分くらい、やや強く揺れ続けました。

今考えると、あのとき落ち着いていすぎww

屋外に出ると、近くにある駅に停車中の電車が、グラングラン揺れていた。
乗客は、気が気じゃなかっただろうな…。

初めて役に立った気がする、ケータイのワンセグ放送。

3回目の本震(茨城県沖)で、東京急行電鉄の最強伝説も崩れた。
JRも、当日中の復旧見込みがたたない。
どうしようか考えつつ、会社に残って情報収集。
うーん、これは歩いて帰るしか無いな。

家まで約24km、チャリ分を差し引いて徒歩20km。

さて、歩くか。

 

これ実際に歩いたルートです。
人の流れが半端無いので、おなじみの国道246号は避けました。

日付が変わるくらいに、東急線が復旧し終夜運転することとなったので、実際に歩くのは上野毛(大井町線)までの約16kmで済みました。

スーツ姿で3時間もの不慣れな運動で、脚はパンパンでした。
これがもし夏だったら、余計にしんどかっただろなー。

それにしても、マタズレしなくてよかった…..。

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帰宅中に、民度の高い人・そうでない人の違いを垣間見れました。

帰宅難民に対して暖かいコーヒーを無料配布をしていたり、(住民に迷惑かもしれんけど)ラジオを大音量で流していたり、簡易トイレを無料配布していたり…..。

日本人の助け合い精神は、誇るべき文化だと思っています。

でも、いいところだけではないですね。残念ながら。

特に、チャリやバイクのマナーのなさが露呈していました。
歩行者も例外無いね。すれ違うときとかに、大体の人は「譲り合い」を心得ていると信じたいけれど、自己中心的な動きをする人も多く見受けられました。
緊急時なだけあって、良い点も悪い点も、すごく目立って感じました。
書ききれないほどに多くのことを考えさせられた大震災でした。そして、自然が牙をむいたときにおける人の無力さを感じました。

地震、雷、火事、オヤジ。
オヤジとは、三宅久之氏のことです。
(出典:TVタックル)

連日、暗いニュースで埋もれているので、少しくらいはボケさせてください。。。

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さいごに…
地震および津波の被害を受けた方々に、心よりお見舞い申し上げます。

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